2007年7月31日火曜日

公明惨敗 新しい時代へ!

参議院選挙。公明党、歴史的な惨敗。
比例区で約770万票。この数字の意味するところはもちろん、相当数の学会員さん、今回は恐らく2割から3割の学会員さんが公明党には投票しなかったということです。
組織に従うのではなく、良識に従う。これ、道理です。
よく知る学会員さん、このご婦人は地区幹部ですが、今回初めて親子で民主党に投票したと仰ってました。もちろん、地区では「報告」の実務を健気にこなしているのです。

敗戦後の大田氏の弁の虚しさよ。虚ろな眼で、意味不明。インタビュアーの質問に全く答えていない。プリンスも落ちたものですな。

さあ、いよいよ次は衆議院選挙。公明党は死地に向かうでしょう。選挙後の安倍続投に世論が納得するはずもなく、その続投を最も支持するのが公明党。大田、北側の弁は国民をバカにしている。良識に目覚めた学会員さんは、宗教の呪縛を逃れ、二度と公明党には投票しない。
最後まで公明党を支持してくれるのは、狂信的な婦人部と社会から隔絶した多宝会のみ。

もっとも気の毒なのは多宝会かな。学会が一番大事にする理由はとてもよくわかる。なんといっても堅い一票ですもの。しかもこの人たちはリタイアしているから、税金が上がろうが保険料があがろうが、関係ないですもん。働いてないんだから税金払ってないですから。そして宗教心が旺盛な世代でしょ。しかも現世利益、いわゆる功徳信心。菩薩即ち社会性に昇華した信仰ではないのですね、この人たちは。だから、組織から言われたことにはそのまんま、「素直に」「愚直に」従う、学会にとってはとっても有難い組織票、ということですね。
ね、ですからもしもですよ、この人たちが仮に選挙権を失うような事態が生じれば、学会は間違いなく多宝会を放り出すでしょうね。

さ、良識に目覚めた学会員さんは、これから胸をはって、堂々と政権交代を進めましょうよ!
道理は一宗一派の独占物などではないんです。投票と信仰が結びつくなんて、こんなバカな話しはないじゃないですか。政権交代を目指して、しっかり信仰に励まれたらいいのですよ。知人の婦人部の方は大変お元気ですよ。そして政権交代しなきゃ、といって元気に民主党に投票してます。今回の結果には本当に喜ばれていましたよ。罰?なんで罰があたるの?学会の信仰ってそんな危ないものなの?

2007年6月19日火曜日

年金、信じられますか この態度?

年金。またもや強行採決ですか。公務員法、続々強行採決。そして会期延長ですか。自民・公明のこの姿勢。何十年後かの社会の教科書には「数の横暴・強権政治の自民・公明」と書かれているでしょうね。

さて、学会員さん。この年金について、皆さんの擁する安倍宰相はこれまでどんな態度で向き合ってきたのか、おさらいです。

民主党からこの問題が始めて提出されたとき。
「年金への不安をあおる危険性があるのではないか」と議論を避ける。ついで、
「年金番号を導入したときの厚生大臣は菅直人さん」と年金番号の導入が問題といわんばかり。そして領収書のないケースについては「ではなんですか、申し出た人にはみんな年金を払えと言うんですか」。内閣支持率が急落すると「最後の一人にいたるまでチェックし、年金は全てお支払すると約束する。戦後レジームからの脱却を目指す私の内閣だから、それはできる」。

この人、信用できるんですか?
世間ではこの対応はますます信頼を失っているようで、内閣支持率は更に下降していますね。その中で唯一健闘しているのが、公明党支持者の安倍氏に対する支持率の高さです。不思議です。
「民衆」という言葉は創価学会の占有物ではないのですよ。皆さん以外の世論、これは「民衆」ではないと思っていませんか。「民衆の団体」という創価学会の皆さん、この点、一度考えて欲しいですね。

2007年6月18日月曜日

連立参加こそ支持者への裏切りだ

公明党参議院の福本氏が離党した。「鉄の結束」を誇る公明党・創価学会には動揺が走っているようだ。聖教新聞ではこれから福本氏に対するすさまじい、口汚いバッシングが始まるだろう。「鉄の結束」は宗教裁判の温床でもある。

さて。福本氏は離党に際して次のような談話を発表している。公明党の党運営について「全体主義的な体制だ」「ヒューマニズムを標榜していても、アンチ・ヒューマニズムの政党ではないか」「与党の中で連携するため、妥協している面がすごく大きい」。全面的に首肯する。世論はまさにこのように感じている。そしてこの福本氏に対する幹事長北側氏の反論が見逃せない。「支持者に対する裏切りだ。断じて許せない」。 まあ、創価学会を意識しての発言なのはよく分かる。この感覚が、冒頭に触れた聖教新聞の口汚いバッシングと見事につながっているわけです。
で、北川氏の言で見過ごせないのは、「支持者への裏切り」。手前勝手な言い分は政治家の常だが、おいおいそれは違うだろう、連立政権参加こそ、最大の「支持者への裏切り」だろう、と思うのですが。

学会員さん、思い出してください。これまで選挙は誰と戦っていたのですか?民衆の側に立つ、権力と戦うといって、反自民を掲げて戦っていたのではないのですか?長期にわたり政権に居続ける自民党は腐敗しきっている、だからこそこれを変えなければ日本の明日はないのだ、と言って、自民党と即ち権力と熾烈な戦いを続けてきた、それが公明党の歴史だったのではないですか?

それが突然です。秋谷会長の証人喚問を境に、いきなり自民と連立。
驚天動地ではなかったですか?これこそ「支持者への裏切り」でなくして何なのでしょう?
創価学会はこの件に関してはもちろん正当化しました。聖教新聞ではこれまでと180度逆のことを連日掲載し、組織に対しても連立政権参加の正当性、すばらしさを、宗教的な側面から必死に「言い訳」してきたのでしょう。当然です。宗教の次元に話をすり替えなければ、筋の通りようがないからです。そしてまた学会員さんは、組織に対して完全に従う「おとなしい羊」であるとうことを、学会の執行部はよく理解しているからです。

今回の福本氏の離党。彼の言っている言葉をよく聞いてみる必要がありませんか?組織からだけの話を一方的に受け入れているその姿勢は、明らかに偏っていると思いませんか?
福本氏は広島で生まれた被爆二世だそうです。

2007年6月14日木曜日

逆風が吹いている?!

年金問題がとどまるところを知らない。次から次へと明るみ出る信じられないような事実。
この国は滅茶苦茶だ。腐りきっている。そう多くの国民が感じているのではないでしょうか?

腐ってしまった原因は何でしょう?・・・世界に類のない自民党の長期政権がもたらした腐敗。これに尽きるでしょう。長期政権は腐敗するのです。絶対権力は絶対に腐敗するのですよ。自浄能力がなくなるのです。

今の状況をなんとか変えるには、とにもかくにも政権を交代して、これまで自民党・公明党が政権与党として隠しに隠している様々な悪弊を白日の下にさらけ出さない限り、無理。そうは思いませんか?

ところで。
多くの国民が怒りに怒っている年金問題。この問題に対して、選挙の戦いに忙しい学会員さん、特に婦人部の皆さんは、どう考えているのでしょうか?知人の学会員さんからお聞きする機会があったのでご紹介します。
知人の奥さんが婦人部の地区幹部なのだそうです。数日前、その奥さんのところへ支部の婦人部の方が見えてこう言われたそうです。「ね、今は逆風が吹いているから、しっかりお題目あげて、しっかり内部を固めてね」。知人の奥さんはさすがに目が点になってしまったそうです。知人が言うには、学会は組織で言われたことを忠実に行うから、これは学会の中央からの指示だね、と。ちなみに知人は組織から相当距離をとっている、名目上、学会員さんです。

なーんにも考えないのですかね?活動家っていう方は?

2007年6月8日金曜日

再びイラク戦争について

英国で首相が交代しました。イラク戦争を強力に支持してきたブレア氏が、国民からNOをつきつけられたのです。英国の人々はイラク戦争は間違いであると、こう理解しているわけです。それはそうでしょう。そもそもの開戦の理由は、イラクが大量破壊兵器を持っている、ということであったのですから。多くの国の反対を押し切って米国は戦争に踏み出したのです。当初から乱暴な話です。その乱暴な米国を支援した首相を、国民は許さなかったということです。
これでいくつになったでしょう、イラク戦争に対する姿勢で首相が交代した国は?
大元の米国で、「イラク戦争は間違いであった」という大きな世論が沸き起こり、ブッシュが後退を余儀なくされていること、これくらいのことは、学会員さんもご存知ですよね?

こういう世界の流れを見るにつけ思うことは、日本だけがいまだに「イラク戦争は間違っていない」、とこう言ってブッシュを応援しているのが、実に不思議です。
もちろん「イラク戦争は間違っていない」と言っているのは、連立与党である、自民党と公明党だけです。野党は、「イラク戦争は間違いだから、早く自衛隊をを引き戻しなさい」といっているわけですね。学会員さんは、こういったことはご存知ですか?

学会員さんは、信仰j活動(=選挙活動)のなかでしきりに広宣流布という言葉を使うのですが、これって、世界平和のことだと伺ったのですが、違いましたか?世界の平和を考える団体、すごいなと思うのです。自分たちの宗教団体の繁栄を考える団体ではなくて、よそ様の平和、世界の平和を考える団体です。
ところが、その創価学会が「イラク戦争は間違っていない」「あらゆる戦争に反対するのは非現実的である」と聖教新聞で正式にコメントしている、のを学会の皆さんはご存知なのですよね?聖教新聞ですからよくお読みなっていると思うのです。

たしか、牧口初代会長でしたか、大変すばらしいことを仰っていますよね。
「悪を前にしての沈黙は半ば悪への加担である」

皆さんはイラク戦争は正しいと考えますか、間違いと考えますか?
それとも学会が言うことであれば何でも間違っていないと思いますか?
この皆さんの考えと、今の創価学会、公明党の行動は一致していますか?

「信仰とは生き方だ」と、私の学会の友人はよく言っていました。
もしそれが本当なら、その人の行動こそが、その人の信仰を現しているということでしょう。
参議院選挙。皆さんの自民党支援という行動は、何を現しているのでしょうか?

2007年6月1日金曜日

「連立」の持つ意味について

強行採決・・・自民・公明による賛成多数により成立

公明党を支援する学会の皆さん、皆さんは「連立」というこの言葉の意味を考えたことはありますか?
公明党は立派な与党です。公明党の選挙ポスターには「責任を持つ」と印刷されてありますが、その通りです。責任をとるのです。決定に参画をした者は責任をとるのです。
国会で様々な法案が成立しています。自民・公明による強行採決は日常化しています。。汚職が蔓延しています。弱者が放置されています。米軍との一体化が進んでいます。歴史が歪曲されています。政治家は言いたい放題です。こういった全てに対して公明党は責任をとるのです。ここが大事な点です。都合のいいところだけ責任をとって、都合の悪いところは、それは自民党のせいだ、というのはありえないのです。それが「連立」ということなのですよ。公明党がOKと言わなければ、今、この国では何一つ成立しないのです。進むも進まないも、鍵を握っているのは公明党なのですよ。この事実をしっかり認識してください。
創価学会の皆さんの話を聞いていると、どうもこの点について奇妙な理解をしているように感じます。
皆さんの言い分では、例えば米軍の問題、松岡氏の問題、年金の問題、こういった国民受けの悪いテーマについては、「全く自民党には困ったものだ」という言い方をされる方が多い。こういうときは自分たちが与党であることを忘れている。責任を放棄している。ところが環境だの、人権だの、誰もが納得するテーマになると「責任ある与党として」と、いきなり声高になる。
「責任」という言葉を都合よく使い分けされているようです。
公明党は「連立与党」なのですよ。この国がどんな風になっていくのか、公明党の責任ですよ。自民党の責任ではないのですよ。
皆さんは「権力の側」に居られることを忘れないで下さい。

2007年5月29日火曜日

何を今さら・・・

公明党の太田氏がテレビ朝日などの番組に出演し、参院選での自民党との選挙協力について次のようにお話したようですね。
「集団的自衛権(の行使)を認めて、憲法9条2項を削って、環境権も必要ないと、(公明党と)根本的に違うことを(候補者が)言えば、支援は当然躊躇せざるをえない」。ふむふむ。
何を今さら!・・・
自民党がそもそも自主憲法の制定を党是としていること、しかもその内容のホシは9条2項であること、そんなことはあったりまえのことでしょう!?
しかも安倍氏は宰相になるはるか以前から公然とこうした発言を繰り返し、自民党幹事長のときにも「集団的自衛権は行使できる」「従軍慰安婦に国が関与した証拠はない」等々、首尾一貫している。見事なものですよ。
こうした発言なかんずく自民党とは、公明党と根本的に違うのではないですか?と、世間の常識をもつ人々は皆さん、感じているわけです。だから、公明党と自民党が連立与党というのはどう考えても、理解できないわけです。
それともなんですか?選挙のときに言いさえしなければよいのですか?選挙カーの上で?

ね、だから公明党は「権力の蜜の味が忘れられない」「創価学会を守るためには何でもする」と、言われるわけですよ。
「私たちが自民党にブレーキをかけるのよ」「だから公明党がしっかりしなければいけないのよ」なんてバカな話を真剣に仰る活動家の皆さん(多くは婦人部の方です)をみると、何というか、盲信、狂信としか言いようがないですよ。可哀想であり、怖いですね。

学会員さん。参院選、自民党を応援するんですか?根本的に違うことを言ってますけど?

2007年5月23日水曜日

「加憲」ってなんですか?

公明党がいつから言い出したのかよく分からないのだが、「加憲」。この言葉、意味不明です。何を加えるのか?環境権だとか。これってどうみても、現在の問題を誤魔化しているとしか思えないです。友党の自民党が改憲即ち9条を変えるべきと声高に言い出すものだから、正面からぶつかるわけにはいかないし、かと言って一応平和団体といわれる支持母体の創価学会の手前、何か言わないわけにはいかないし。こんなジレンマの中から生まれたのが「加憲」という意味不明の言葉です。しかも加えるものは「環境」だと。こんなもの反対する人いないでしょ。こういう傾向が与党になってからの公明党には顕著です。問題を避けているとしか見えない。そして支持母体に向けては適当なポーズをとる。庶民の党、平和の党が泣きますよ。
こんなふうに日ごろから感じていたら、やっぱり世間様もそうなんですね。2007年5月22日朝日新聞の声の欄に載っていた投書です。大学講師の岡野さんという方です。紹介します。
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憲法に環境権付加は不要だ   大学講師 岡野 哲
自民党の憲法改正案は、クーデターとも言うべきものだとする18日の常岡教授の専門家としての指摘に、全く同感です。
 ところで、その他にも、日本国憲法に認められる改正として考慮に値しないような案が与党の政治家の発言に見出されます。
 それは「環境権」を付け加えるという、「加憲」と分類される改憲論のことです。しかし、「環境権」の内容があいまいで、この主張には、聞こえのよいレッテルだけが独り歩きしている感じがあります。
 環境問題に関しては、日本国憲法に沿った「環境基本法」が93年に制定されています。この基本法では「環境の恵沢の享受と継承」「環境への負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築」「国際的協調による地球環境保全の積極的推進」など、国や国民などの責務が明示されています。この基本法がしっかり守られていないことに問題があるのではないでしょうか。法律上の課題があるのなら憲法改正ではなく、基本法の改正を行うことで解決を図るべきでしょう。
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「加憲」なんて言ってるときじゃないとおもうのですよ、特に学会さんは。「護憲」「9条2項は不変」と堂々と言うのが創価学会さんではないのですか?それが池田氏の発言なのではないですか?そしてこれは安倍氏と真っ向からぶつかるのですよ。
学会員さん、どう考えますか?

2007年5月21日月曜日

池田氏の発言

資料を整理していたら貴重なものが出てきた。2001年9月25日付け毎日新聞朝刊の池田氏のインタビュー。この中で池田氏は現在の創価学会のあり方の是非を考える上で鍵となるであろう大変重要な発言をしている。聞き手(インタビュアー)は当時毎日新聞主筆の北村正任氏、特別顧問の岩見隆夫氏。以下重要な点を紹介する。
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聞き手:北村
「名誉会長、最近までずっとマスコミに登場しなかったのですが、最近、朝日新聞への寄稿から始まり、登場が続いています。何か思うところがあってですか。」
池田氏:
「創価学会というと、すぐ公明党と見られがちです。その公明は、自民と一緒になっています。一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。そのように思われることは、学会にとっては非常に迷惑なことです。心ある会員にしかられます。また離れていきます。そこで、創価学会の主体性を明確にしておかないと、内部的にも納得感を得られないと思って発言を多くするようにしました。私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間対人間の心の連帯です。もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰る。(以下略)」
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池田氏:
「(中略)私は絶対に第9条だけは変えてはいけないと思います。その他は、やむを得ない場合があるかもしれないが。」
聞き手:岩見
「憲法を見直すこと自体はいいと。」
池田氏:
「その通りです。論議は結構だ。9条は変えてはいけない。」

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池田氏のこの発言と現在の創価学会のあり方。あまりに乖離していると感じているのが、世間だと思うのですが。学会の皆さんは、こういう記事を読んだとき、どのように考えるのでしょうか?
安倍宰相は、明確に「9条を変える」と言って憚らないのですよ。「9条こそがもっとも現実にそぐわない」と、こう声高に張り切って国民投票法案を拙速に進め、集団自衛権の解釈を変更すべく、極右翼のようなメンバーを集めて審議会をはじめた。公明党はこれらを自民党と一致して進めて、学会は選挙において自民・公明一体となった「法戦」を繰り広げている。
このような状況、誰がどう見ても、この池田氏の発言とは真っ向から対立するのではないですか?
池田氏が言う如く、心ある人は既に離れていっている。残るは元気な婦人部と多宝会のみ。
皆さんにとって池田氏は確か師匠ではなかったのですか?それともお飾りですか?
学会員さん、この池田氏の発言、よくよく考えてみませんか。

本当にこれでいいのですか

 東京都知事の石原慎太郎さんが脚本を書き製作総指揮をした、太平洋戦争の特攻隊員たちを描いた映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」が公開されましたね。石原知事をインタビューした朝日新聞の広告特集を、私は嗚咽をしつつ何度も読み返しました。
 石原さん、戦争の悲惨さを伝えたいのでしたら、この映画にかけるお気持ちが本当なら、あなたが初当選した後に凍結した「東京都平和記念館」(仮称)の建設を、今こそ始めてもらえませんか。
 戦争の惨禍を記録し、戦争とは何なのか、なぜ戦争がおきたのかを学ぶ場を東京に作りたい。そう考える私たちは鈴木俊一知事時代に都にお願いしました。青島幸雄知事の時にゴーサインが出ましたが、石原知事1年目の1999年に凍結されてしまいました。以来、そのままです。(中略)8年前の凍結の理由は財政難でした。いま、東京でオリンピックを開くお金があるのなら、施設はできるはず。どうか今のうちに建てて欲しい。
(中略)私もかつては軍国少女でした。42年、日本軍がシンガポールを占領したとき、無邪気に喜んでいました。今の若い人は戦争のこと、日本がアジアでひどいことをしたことを教わっていないし、知りません。その彼らに、「北の脅威」を吹き込んだら、かつての軍国少年、軍国少女と同じ。18歳から国民投票を認めたら、改憲に賛成するでしょうね。(中略)出来るのなら東京の真ん中で訴えたい。「みなさん、本当にこれでいいんですか。歴史をきちんと学ばないまま9条を変えていいのですか」と。
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 2007年5月21日朝日新聞 ”私の視点”に掲載された高木敏子さんの投稿の一部です。
 タイトルもそのまま紹介しました。是非全文をお読みになられることをお勧めします。
 高木敏子さんは、あの「ガラスのうさぎ」の作者です。
 高木さんは”嗚咽をしつつ何度も読み直した”といわれていますが、私はここを読んで思わず同じ感情がこみ上げてきました。
 衆生病む ゆえに我病む。
 社会の趨勢に対して鋭敏な感性がなければ、この感情は分からないのではないでしょうか。
 
 平和を愛する創価学会のみなさんは、どのように感じるのでしょうか?
 石原や安倍を全力で支援する皆さんは、高木さんの発言にどう向き合うのでしょうか?
 

2007年5月14日月曜日

愚人に誉められる創価学会

改憲にひた走る安倍。憲法でもっとも現実に合わないのは9条と言い切る安倍。公立学校の道徳の時間を「教科」として評価対象にするという安倍。従軍慰安婦に対する発言を何故か米国大統領ブッシュに謝る安倍。この安倍について朝日新聞に興味深い記事が載っていたので紹介します。学会員さんは既に参議院選挙の『戦い』で、新聞など読む暇もないと思いますので。
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(5・14付 ポリティカにっぽん)。
1997年、従軍慰安婦が中学校教科書に載ることに反対した自民党議員たちの「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」。代表は中川昭一、幹事長は衛藤晟一、事務局長は安倍。さあ、この会で、従軍慰安婦にお詫びと反省を述べた「官房長官談話」の河野洋平を呼んで次のようなやりとりをしている。
K議員:「この程度のことを外国に向けてそんなに謝らなきゃないかんのか?兵隊にも何にも楽しみがなくて死ねとは言えない。楽しみもある代わりに死んでくれと言っているわけでしょう」
河野:「この程度と言うが、女性一人一人の人生にとっては決定的なものではなかったか。戦争だから、女性が一人や二人、ひどい目にあってもしょうがないんだとは思わない」
衛藤:「軍が直接、女性を引っ張った事実はあったのか。料金は内地よりも3倍だとか」
安倍:「慰安婦の証言の裏づけをとっていないではないか」

従軍慰安婦が「この程度」!当時は公娼制度があったんだ、韓国にだってキーセンハウスがある、慰安婦には金を払っていた、軍が強制した証拠はどこにあるのかといった発言が飛び交っている。そこには、女性の尊厳も、軍への戒めも、戦争そのものへの反省も、国家が個人を苦しめる強制装置なるという洞察も伺えない。その「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」から安倍政権の多数の要職が出ている。
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以上がその部分。
従軍慰安婦に関する証拠は日本に限らず、世界中に存在している。それらの公的文書に基づき、戦後の裁判が行われたのは周知の事実です。これを否定する人はただの無知の人です。

さあ、学会員さん。この安倍さんを皆さんはどう評価するのですか?
生命の尊厳を掲げる学会員さんは、このような発言をする安倍さんを支援しています。全力で。
そして安倍さんも公明党を【友党】として絶大な信頼を寄せている。学会の皆さんを心強い味方、同志として賞賛している。

【愚人に誉められたるは第一の恥なり】。
皆さんは、日本一の恥知らずでしょうか?それとも安倍さんは賢聖なのでしょうか?
戦う学会員さんのお考えを訊きたいです。

2007年4月29日日曜日

信仰心?忠誠心?

最近の学会の活動家の皆さんを見ていて思い出す言葉。

活動家の皆さんには信仰心という言葉はどうも当てはまらない。
皆さんにもっとも当てはまる言葉、それは忠誠心。

信仰心は自身を見つめさせる。これは内を見つめる目。つまりは考えを深める。
忠誠心は外に向けられる。もちろん、組織。そして忠誠心は考えることを放棄させる。

皆さんの日ごろの「活動」、これ信仰心から発しているかしら?それとも組織に対する忠誠心?
活動が信仰心から生まれているなら、そこには自身の考えがある。この人に質問を向けると、この人は必ず、自分の言葉で何かを語る。一方、活動が忠誠心から生まれている人に質問を向けると、この人は考えていないから、答えがでてこない。出てくるのは「とにかく」、「いいから」、「やるしかない」といった、要は考えないという言葉。

活動家の皆さん、皆さんは信仰心で活動しているの?それとも忠誠心?

宗教はアヘンである

最近の創価学会の活動家の皆さんを見ていて、ふと思い出した言葉。

アヘンを吸った人間はどのような状態になるのだろうか?気持ちよくなって、何も考えなくなる。現実から遊離する・・・。考えなくなる状態がアヘンを吸った状態ということ。マルクスはそう言いたかったのでは・・・。

集票マシン。マシンとは何か?マシンとは人間に対置する言葉だ。マシンと人間はどこが違うのか。人間は自分で考えるが、マシンは自発的に考え、動くことができない。言われたことを忠実に行うのがマシン。

最近の学会の活動家の皆さん。皆さんは一生懸命、活動はするけど、その活動の是非について活動に向けるエネルギーの半分でもいいから、考えているのかしら?
考えるのは幹部、私たちは実行部隊。もしもこう考えているとしたら、まさにマシン。
信仰はマシンを製造するものなの?信仰は人間を賢くするものではないの?

学会員さん、皆さんはマシンですか?アヘンを吸っているのですか?

2007年4月18日水曜日

国民投票法案ごりおしについて

「この国では首相がやると言ったことはなんでもできてしまう。恐ろしい国だ。議員として無力感を感じる」 これは国民投票法案が衆院で可決されたときの、田中真紀子の発言だ。絶対多数。

安倍になってからの与党自民党・公明党のやり方は目に余る。「なんでもできる」、まさにその通りだ。
自主憲法制定即ち九条なし崩しに向かって、遂に大きな一歩を踏み出した。

学会員さん。
いま、この国で、自民党が何をしようとしているのか、よくよく考えたことはありますか?
今回の法律に多くの不安が寄せられている理由をご存知ですか?
今回参院に送られた国民投票法案の最大のポイントは、有効投票に関して何の規制もないことなのですよ。投票率が仮に30%、実際現在の選挙などをみてもこの数字は概ね現実的な数字だと思いますが、有権者100人のうち30人しか投票しなくても、その半分15人で憲法を変えることができるということなのですよ。
ですから世論は、最低投票率等、母集団についての何らかの担保を設けるべきだと言っているのですよ。憲法という、国の最高法規、権力に箍をはめる最高規範を、そんな簡単に変えることができるようでは困るのです。

学会員さん
皆さんは、政治についてはどのように学ばれているのですか?
座談会で、活動者会で、即ち”学会幹部からの話し”だけで、”学会からの配布物”だけではないですか?
一般紙をきちんと読まれていますか?ニュースをきちんと見たことはありますか?
是非、ご自身の目で、頭で、事実を知ってください。功徳とか、罰とか、そういう宗教的な側面はここには関係することではないのですよ。
そして、事実を知った上で”自民党は正しい”と考えるなら、胸を張って「自民党を支える公明党」を支援なさる、これは大いに結構だとおもいます。
一番いけないのは、「よくわからないけど、とにかく学会に間違いは無い、公明党に間違いはない」というパタンです。

政治を監視せよ。これは戸田第二代会長の言と聞いていますが、監視するのに、「よく分からない」のでは、監視できないでしょう?監視せよ、ということは、きちんと事実を知りなさい、ということですよ。自分の目で見て、自分の頭で考えなさいということですよ。単なる精神論ではないでしょう。

学会員さん。
政治を監視してください。
国民投票法案の強行採決を進める公明党、皆さんはこれは正しい行為だと考えますか?

2007年4月11日水曜日

傲慢知事 石原について

都知事選挙が終わった。
石原の三選。米国のブッシュが当選したときの、なんとも言えない嫌な感じと似た気分だ。

選挙中の石原の発言は、当選の翌日からあっという間に反故に。勝てば官軍。分かりやすい男だ。世論もこの男の暴走振りをよく知っているから、「調子に乗ってはいけないよ!」といったトーンの論調が多い。

さて、そこで今回は特に東京都の学会員さんに訊きたい。
皆さんの石原支援の”戦い”は、自民党員以上のものであったことは新聞紙上のデータに明らかだが、皆さんはこの石原という男のどこに共感して支援活動をしたのですか?
この男の経歴をご存知なのだろうか、学会員として。そしてまた知事になってからの様々な暴言。これらをどうご覧になっているのか?

学会員さんの支援なくして、石原当選はなかった。石原に限ったことではない。
皆さんの投票行動、支援活動は、政治に対して大きな影響力を持っているわけだが、同時に政治に対して大きな責任をもっているということだ。石原を知事にした責任。この男に都知事という権力を三度与えた責任。

聖教新聞では、大勝利、大勝利といつもながらのちょうちん行列の記事ですが、皆さんは自身の政治における行動が、結果として社会に何をもたらしているのか、考えているのでしょうか?大きな力には大きな責任が伴うのですよ。池田氏は「高貴なる者には義務あり」というヨーロッパの格言を引いてスピーチをしたことがよくありますが、その通りです。

かつて思想的に創価学会と徹底的に戦った石原。いまも中身は何も変わっていない石原。この石原を全力で支援し、権力を与えた学会員さん。

感想を聞きたいです。

2007年4月3日火曜日

沖縄戦の教科書検定について

沖縄戦で軍隊が集団自決に関与したという資料はない。逆に集団自決などには私は関与していないという軍人の証言もある。従って、公立学校の社会科教科書では、このくだりは削除、ないし中立的な表現に改めるべし。

やっぱりね・・・
美しい国、9条改悪、教育基本法改悪、そしてまた「従軍慰安婦に政府が関与したという明確な証拠はない」とのご発言。

安倍政権のこの分かり易さ。

学会員さん、どう思われますか?牧口初代会長、戸田第二代会長はどう思うのでしょう?
平和の団体 ― 創価学会の活動家のみなさん。確かSGIというのは「社会的な善を推進する団体」でしたよね? Social Goodness Institute.

選挙戦真っ盛り。皆さんが毎日繰り広げている、自民党の支援活動。公明党は与党として自民党を補佐しているのですから、公明支援はそのまま自民の支援ですね。これで「社会的な善」が推進されるのですね?「社会的」な善ですよ。「創価学会的」な善ではないのですよ。基準を「社会」に据えてきたから創価学会は価値があったと思うのです。基準を自分においてしまえばそれはただの「ジコチュー」でしょ。

どこまで突き進むのでしょうか?

学会員さん、貴方の考えを聞きたい。

2007年3月22日木曜日

聖教新聞について

かれこれもう20年以上、聖教新聞を購読している。
学会の友人から勧められたのだが、池田氏の指導や提言等大変納得のゆく内容で、いい新聞だと思ってきたからだ。

その聖教新聞がずいぶん変わったなと感じるのだが・・・

最初に?と感じたのは、宗門に対する座談会記事。外部の私にとってこの手の記事にはもともと興味はない。お家騒動のような認識で、関係者にとってはまあ重大な問題ではあろうと眺めていたのだが、しかしまあ、この記事がいつまで経っても終わらない。既に10年以上?同じ内容が何度も何度も、これでもかこれでもかと一紙面を埋めている。正直、しつこいなと感じる。ご発言も品がよいとは言えない。恨み節のようにも見える。よっぽど記事が無いのかしら?

それと池田氏の発言(実際には担当記者が書いていると友人は言っている)が、微妙に、時には明らかに変わってきた。以前のものとは辻褄合が合わなくなっている。しかも根本的な次元で。

更に新聞社としての姿勢として理解できないのが、過去の記事の閲覧を廃止したことだ。
新聞社はその発言に責任をもつ。従っていつ、どこで、どのような発言があったかが常時開示されているのが、責任ある新聞社の良識であり、常識である。
ところが、聖教新聞はこれを辞めた。縮刷版を廃止したのだ。
そもそも一宗教団体の機関紙であるのだから、そんなものかとも思うが、一方、これまで「社会に開かれた、大新聞」と言ってきたのだから、それはやはり合点がいかない。

私なども記事を読みながら、「以前はこれとは全く逆のことを言ってたよなあ・・・」と思うこと度々であるわけだが、ではどこで、いつ言っていたかということを調べようにも調べるすべも無い。HPを覗いたところで、読者からの発信を受け付ける窓口も無い。全然開かれていないなあ・・・

ということで、20年来続けてきた聖教新聞の購読をこの3月で辞めることにした。
しかし創価学会にはまだまだ興味があるので、聖教新聞はたまには読もうと思っている。
そのとき役立つのが「ご自由におとりください」「正義と希望の新聞」という例のプレゼントだ。ここ数年やたらと目に付くようになった。これも大きな変化だ。5~6部が常時ポストに入っているものをよく見かける。あれは余っているのかしら?私としてはありがたいが、しかし殆ど減ってないような・・・。資源の無駄使いということも感じるのだが・・・

ということなのですが、さて、学会員さん。学会員さんのお考えを聞かせてください。

2007年3月20日火曜日

憲法9条について

自主憲法制定を党是として掲げる自民党。安倍になってから、これが一挙に進んでいる。つまるところは、国家主権即ち交戦権を制限する9条を廃棄し、自由に、国家主権を行使したいということだ。

さて、この動きを学会員さんはどう考えているのだろう?

憲法9条は、日本が原子爆弾という前代未聞の大量虐殺を経験したことから始まる。核時代においてはいかなる戦争も認めることはできない。そしてそれは国家主権を制限することなしにはありえないという卓見から、「国家主権たる交戦権の放棄」という、これまでの常識を塗り替える立場を鮮明にした。

このような9条を自民党はもちろんだが、公明党までもが必死になって骨抜きにしようとしている。
「加憲」などとあいまいな表現は、かつての公明党、なかんずく創価学会にはありえないことであったと理解している。

それは創価学会の歴史を見れば明らかであろう。戸田氏が発表した原水爆禁止宣言。これは遺訓の第一として学会員さんに託されたのではないのか?友人の学会員は、「9条の思想を世界にひろめることを、即ち広宣流布というのだ」と、実に筋の通った話を、熱を込めて語っていた。

創価学会は一体どうしたのだろう?

学会員さん。
「公明党は間違いない」、「学会は間違っていない」などと言って、自分の頭で考えることをやめていませんか?
9条のどこが”現実に即していない”のでしょう?9条を変えて何をしたいのでしょう?
この質問に対して、自分の頭でよくよく考えてみて下さい。池田氏は「憲法9条はこれは絶対に正しい」と断言していますが、私はこの点は全く同感なのです。

学会員さん。
「そんなこと言っても、組織の方針だから・・・」、「そんなこと言ったら幹部から追及されてしまう・・・」、もしこんなふうに感じているとしたら、それって全く信仰心のかけらもないのではないのでしょうか。
友人の学会員はいつの間にか、「いろいろあるから・・・」という言葉が口癖になっていました。

学会員さん。
トキノカンヅタリトイエドモコギヲカマエズバモチイジトナリ。
真剣に考えることは謗法でもなんでもないでしょ。そもそも法主でも間違えるのですよ。
池田氏が教育に力を入れるのは、「考える人、賢明な人を育てることが、平和の基である」からだ、と言ってますね。

学会員さん、貴方の考えを聞かせてください。

2007年3月19日月曜日

選挙活動について

創価学会は宗教団体であるが、社会に積極的に関わろうとする点にその特質がある。
宗教とはそもそも社会から隔離された特別の世界ではなく、社会にしか存在しないものであるから、この点は極めて理解できる。学会員さんが熱心に政治に関与するのは全くのところ素晴らしいことだ。
そしてまた学会員さんが政治活動を、自身の内面においては宗教活動として捉えて行うことも何ら異論などない。
学会の友人によれば、多くの学会員さんにとって政治活動 (もちろんこれは公明党の支援活動であるが) は、広宣流布の戦いであり、宿命転換の戦いであり、功徳を戴くチャンスである、という。善哉。

ところが・・・

公明党が自民党の友達になってからの選挙活動には、これまでのものとは相当なズレが生じているように思うのだが、さて、学会員さんはどのように感じているのだろう。

例えば・・・
これまでは自民党のことを”魔”と呼んで、私たち外部のものには”絶対に自民党には投票してはいけない”と言っていたのだが、今度はいつのまにやら民主党が”魔”になっている。自民党は?というと、責任与党として現実路線を進んでいる などと仰る。

公明党の従来の主張と、自民党、特に安倍などはその主張が全く相容れないと理解しているのだが、この点はどうなのだろうか。従来の公明党支援の根拠は友人によれば”仏法の平和思想を体現している”ということであったのだが、自民党の主張は全く逆にしか思えない。宗教的信念に基づく政治活動であればそこには自ずと一線が引かれると思うのだが・・・

と、根本的な疑問が雲のように湧いてくる。

いまや学会員さんの政治活動は、かつてのように宗教的信念によって是非を判断することをやめ、とにもかくにも「創価学会を守る」ために与党としての地位を確保すること、ここに目的を定めた感がある。こうなってくると、これまで感心していた政治活動も全く色褪せてしまう。
 
 更に危惧するのは、学会員さん個々人が組織をあまりに無批判に (ここが宗教団体の特質であろう、疑問は即ち不信として扱われる) 全てを受け入れるのだが、学会員さんは果たして「考えて」行動しているのだろうか。今の学会員さん、特に政治活動を熱心に行っている婦人部の方などを見ていると、申し訳ないのだが、あのオームの信者と重なって見えてしまうのだ。共通しているのは、熱心な信仰心。素直な信仰心。そして相当飛躍した論理。

仏法とは道理なり、道理とは主に勝つものなり・・・学は光、無学は闇・・・

学会員さんの考えを聞かせてほしい。

2007年3月18日日曜日

イラク戦争について

創価学会の言動に根本的に疑念を持ったのは、そもそもはイラク戦争に対する態度だ。

創価学会の社会に対する姿勢は、小説人間革命のあのあまりにも有名な序文が見事にあらわしていると理解していた。

「戦争ほど悲惨なものはない 戦争ほど残酷なものはない ・・・」

小説人間革命のなかで作者の池田氏は、戦争には正しい戦争も間違った戦争もない、という姿勢を明確に示している。また原水爆禁止宣言においても、核兵器は絶対悪であると断言している。
創価学会は絶対平和主義である。
だから湾岸戦争勃発の際にはいち早く停戦を訴え、戦争で犠牲になる市井の人々の側に立った提言を逸早く行ったのだろう。・・・・このように私は理解していたのだが・・・・。

イラク戦争に対する態度はこれまでと全く異なっていた。
当時会長であった秋谷氏は、イラク戦争の正当性に理解を示し、絶対平和主義者には理解できないことであると、機関紙である聖教新聞で明言するに至った。これは驚愕だった。

この豹変振りはどうしたというのだろう。
このとき、私はこれまでの創価学会に対する信頼が大きく損なわれたと感じた。
この団体はどうしたのだ?

学会員の皆さん、皆さんは一体どう考えているのだろうか?

2007年3月14日水曜日

松岡農水相の進退について

あまりに人をバカにした松岡氏の答弁。これを弁護する安倍氏。
さすがに公明党の幹事長も「もう少し誠実に答弁すべし」と。松岡、安倍の対応は不誠実であるということだが・・・。

そこで学会員さんに訊きたい。
皆さんはそれでもやっぱり選挙では自民党を応援するのだろうか?
なんだかんだと理屈をならべることはできるが、結局のところ皆さんの強力な支援のおかげで自民党のこの傍若無人な振る舞いがまかり通っている。
自民党を支援する限り、学会員さんには自民党を非難する資格はない。これは道理でしょう。
仏法とは道理なり・・・。道理とは主に勝つものなり・・・・。
今の創価学会にはこの「道理」がなくなってしまった。かわって「自己正当化」が幅をきかせている。
学会員さん、どう思いますか?

2007年3月11日日曜日

教育基本法の改訂について

創価学会はもともと教育者の牧口氏が初代の会長として発足した。
大変優れた教育者である牧口氏の功績はよく知られている。
そしてその牧口氏は戦時中、戦争に反対して投獄され、獄死している。

学会員さん、特に教育部の皆さんのお考えをおききしたい。
現行の教育基本法の改訂について、皆さんはどう考えているのだろう?
今般の流れに対してもっとも反対の旗幟を鮮明にしてしかるべきが、学会の教育部であろうと思っていたのだが、何の声も聞こえない。
教育に国家権力の介入が着々と進んでいるのは誰が見ても明らかであろう。名誉会長の池田氏はかつて、三権分立ではなく四権分立として、教育権を独立させるべきであると明言している。もっともな提言である。

やはり公明党が与党になってしまったからだろうか。
与党になってからの公明党の言は説得力を欠く。平たく言えば、これまで言っていたことと全く違うね、
ということ。見苦しい。

さて、学会員の皆さん、皆さんはどう考えているのだろうか、お考えをおききしたい。