2007年4月29日日曜日

信仰心?忠誠心?

最近の学会の活動家の皆さんを見ていて思い出す言葉。

活動家の皆さんには信仰心という言葉はどうも当てはまらない。
皆さんにもっとも当てはまる言葉、それは忠誠心。

信仰心は自身を見つめさせる。これは内を見つめる目。つまりは考えを深める。
忠誠心は外に向けられる。もちろん、組織。そして忠誠心は考えることを放棄させる。

皆さんの日ごろの「活動」、これ信仰心から発しているかしら?それとも組織に対する忠誠心?
活動が信仰心から生まれているなら、そこには自身の考えがある。この人に質問を向けると、この人は必ず、自分の言葉で何かを語る。一方、活動が忠誠心から生まれている人に質問を向けると、この人は考えていないから、答えがでてこない。出てくるのは「とにかく」、「いいから」、「やるしかない」といった、要は考えないという言葉。

活動家の皆さん、皆さんは信仰心で活動しているの?それとも忠誠心?

宗教はアヘンである

最近の創価学会の活動家の皆さんを見ていて、ふと思い出した言葉。

アヘンを吸った人間はどのような状態になるのだろうか?気持ちよくなって、何も考えなくなる。現実から遊離する・・・。考えなくなる状態がアヘンを吸った状態ということ。マルクスはそう言いたかったのでは・・・。

集票マシン。マシンとは何か?マシンとは人間に対置する言葉だ。マシンと人間はどこが違うのか。人間は自分で考えるが、マシンは自発的に考え、動くことができない。言われたことを忠実に行うのがマシン。

最近の学会の活動家の皆さん。皆さんは一生懸命、活動はするけど、その活動の是非について活動に向けるエネルギーの半分でもいいから、考えているのかしら?
考えるのは幹部、私たちは実行部隊。もしもこう考えているとしたら、まさにマシン。
信仰はマシンを製造するものなの?信仰は人間を賢くするものではないの?

学会員さん、皆さんはマシンですか?アヘンを吸っているのですか?

2007年4月18日水曜日

国民投票法案ごりおしについて

「この国では首相がやると言ったことはなんでもできてしまう。恐ろしい国だ。議員として無力感を感じる」 これは国民投票法案が衆院で可決されたときの、田中真紀子の発言だ。絶対多数。

安倍になってからの与党自民党・公明党のやり方は目に余る。「なんでもできる」、まさにその通りだ。
自主憲法制定即ち九条なし崩しに向かって、遂に大きな一歩を踏み出した。

学会員さん。
いま、この国で、自民党が何をしようとしているのか、よくよく考えたことはありますか?
今回の法律に多くの不安が寄せられている理由をご存知ですか?
今回参院に送られた国民投票法案の最大のポイントは、有効投票に関して何の規制もないことなのですよ。投票率が仮に30%、実際現在の選挙などをみてもこの数字は概ね現実的な数字だと思いますが、有権者100人のうち30人しか投票しなくても、その半分15人で憲法を変えることができるということなのですよ。
ですから世論は、最低投票率等、母集団についての何らかの担保を設けるべきだと言っているのですよ。憲法という、国の最高法規、権力に箍をはめる最高規範を、そんな簡単に変えることができるようでは困るのです。

学会員さん
皆さんは、政治についてはどのように学ばれているのですか?
座談会で、活動者会で、即ち”学会幹部からの話し”だけで、”学会からの配布物”だけではないですか?
一般紙をきちんと読まれていますか?ニュースをきちんと見たことはありますか?
是非、ご自身の目で、頭で、事実を知ってください。功徳とか、罰とか、そういう宗教的な側面はここには関係することではないのですよ。
そして、事実を知った上で”自民党は正しい”と考えるなら、胸を張って「自民党を支える公明党」を支援なさる、これは大いに結構だとおもいます。
一番いけないのは、「よくわからないけど、とにかく学会に間違いは無い、公明党に間違いはない」というパタンです。

政治を監視せよ。これは戸田第二代会長の言と聞いていますが、監視するのに、「よく分からない」のでは、監視できないでしょう?監視せよ、ということは、きちんと事実を知りなさい、ということですよ。自分の目で見て、自分の頭で考えなさいということですよ。単なる精神論ではないでしょう。

学会員さん。
政治を監視してください。
国民投票法案の強行採決を進める公明党、皆さんはこれは正しい行為だと考えますか?

2007年4月11日水曜日

傲慢知事 石原について

都知事選挙が終わった。
石原の三選。米国のブッシュが当選したときの、なんとも言えない嫌な感じと似た気分だ。

選挙中の石原の発言は、当選の翌日からあっという間に反故に。勝てば官軍。分かりやすい男だ。世論もこの男の暴走振りをよく知っているから、「調子に乗ってはいけないよ!」といったトーンの論調が多い。

さて、そこで今回は特に東京都の学会員さんに訊きたい。
皆さんの石原支援の”戦い”は、自民党員以上のものであったことは新聞紙上のデータに明らかだが、皆さんはこの石原という男のどこに共感して支援活動をしたのですか?
この男の経歴をご存知なのだろうか、学会員として。そしてまた知事になってからの様々な暴言。これらをどうご覧になっているのか?

学会員さんの支援なくして、石原当選はなかった。石原に限ったことではない。
皆さんの投票行動、支援活動は、政治に対して大きな影響力を持っているわけだが、同時に政治に対して大きな責任をもっているということだ。石原を知事にした責任。この男に都知事という権力を三度与えた責任。

聖教新聞では、大勝利、大勝利といつもながらのちょうちん行列の記事ですが、皆さんは自身の政治における行動が、結果として社会に何をもたらしているのか、考えているのでしょうか?大きな力には大きな責任が伴うのですよ。池田氏は「高貴なる者には義務あり」というヨーロッパの格言を引いてスピーチをしたことがよくありますが、その通りです。

かつて思想的に創価学会と徹底的に戦った石原。いまも中身は何も変わっていない石原。この石原を全力で支援し、権力を与えた学会員さん。

感想を聞きたいです。

2007年4月3日火曜日

沖縄戦の教科書検定について

沖縄戦で軍隊が集団自決に関与したという資料はない。逆に集団自決などには私は関与していないという軍人の証言もある。従って、公立学校の社会科教科書では、このくだりは削除、ないし中立的な表現に改めるべし。

やっぱりね・・・
美しい国、9条改悪、教育基本法改悪、そしてまた「従軍慰安婦に政府が関与したという明確な証拠はない」とのご発言。

安倍政権のこの分かり易さ。

学会員さん、どう思われますか?牧口初代会長、戸田第二代会長はどう思うのでしょう?
平和の団体 ― 創価学会の活動家のみなさん。確かSGIというのは「社会的な善を推進する団体」でしたよね? Social Goodness Institute.

選挙戦真っ盛り。皆さんが毎日繰り広げている、自民党の支援活動。公明党は与党として自民党を補佐しているのですから、公明支援はそのまま自民の支援ですね。これで「社会的な善」が推進されるのですね?「社会的」な善ですよ。「創価学会的」な善ではないのですよ。基準を「社会」に据えてきたから創価学会は価値があったと思うのです。基準を自分においてしまえばそれはただの「ジコチュー」でしょ。

どこまで突き進むのでしょうか?

学会員さん、貴方の考えを聞きたい。